何もないところで、ハラスメントは起こらないのは当然のことですよね。では何があるとハラスメントが生じるのでしょうか。ハラスメントを生じるための要件は何か。これがハラスメントの背景を探る最初の問題になります。

最初に特定の人間集団が必要です。集団において個人が他の人たちと均質な親密さを持つことはまれです。日本人の場合は、好き嫌いの感情的表現を用いる傾向が強いですが、それぞれの距離感にモアレが生じます。

そこに欲求不満と大きなストレスが背景を形作ります。平和で安泰な人間集団にハラスメントは無用です。何かのストレスがハラスメントを生み出します。ハラスメントする人もストレスの被害者なのですね。

人間関係の強弱が歪みを作り出します。親しい関係は強く、逆なら弱い関係と考えますが、弱い関係にある人がハラスメントのターゲットになりやすい。つまり均一ではない強弱が生じている関係にストレスが掛かるとハラスメントを生じるといえそうです。

言うまでもありませんが、生まれつき悪意の人なんていません。生育環境の中で善意・悪意に出会って成長しています。そして不信感は悪意のない行為に悪意を生み出す傾向を持つようになります。そして悪意が危険であると認識し、不信感がリスクとして認知されます。

さして親しくもない人からこみ入った話をされると違和感を生じるのは不信感が悪意を感じさせているのです。また親しい人に対して意地悪になる日本人の傾向が気になります。親しいんだからわかってくれるという期待があります。

心理学者はこの心理を「甘え」だと論じる場合もありますが、日本人の信頼感は心理的緊張を解放するために効果がある方法です。公式の場と私的な場との距離感を使い分ける感性は日本人の意識に強くあったはずです。

ハラスメントの背景にある問題は態度と距離感の不一致が亀裂ではないでしょうか。伝来の日本のコミュニケーション様式や公私の距離感が損なわれてきた結果なのかもしれませんね。このような距離感は信頼感に基づいていました。

そもそも人間同士は無条件に信頼し合えないという性質があるように見えます。信頼すると自分の弱点を相手に公開することになりかねないという恐れがあるのかもしれません。

そして信頼の度合いをはかり知る方法はないものかと思うわけです。どれだけの無礼が許されるかで判断する方法を採用する人も少なくありません。不躾なことを言っても、不躾にならない関係を親しい関係だと理解している人は、身近にいました。

お互いに嫌われているのではないかという負の疑惑を持っているのも見逃せません。自分が嫌われているからという負のバイアスで解釈して余計な歪みを生み出します。逆説的な問題も生じています。避けると嫌われていると判断されかねないですが、接触するとハラスメントになってしまうリスクを感じます。

例えばグループに対してストレスをかけて作業をさせますが、グループはストレスと欲求不満を抱え込みます。どのようなグループでも時間の経過とともにハラスメントを生じます。一人がハラスメントをするのではなく、一人のハラスメント被害者をつくるのです。

友人関係のつながりからはぐれている人がターゲットになる傾向が高いのですが、つながりから断絶している人は全体のパフォーマンスに与える影響が小さいからだと考えられます。

つまり個人の誰かではなく全体として、ターゲットを決定しているわけです。そうであるなら周囲の全体にメリットを供与しているならターゲットにならないといえます。
性別で態度と親近感のバランスが異なる
女性は身体的距離と親近感との結びつきが男性より強いようです