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実用ハラスメント対策はこれ。ハラスメントの加害者にされないために

ハラスメント問題中で最大の問題は、意図せずハラスメントの加害者として訴えられてしまうことではないでしょうか。自分はハラスメントをしているつもりはなかったのに、周囲から知らない間にハラスメントの人なんてレッテルを貼られる。これはむしろ大変な被害者だと思うのです。

このような事態を避けるために、対人関係の距離を守りましょう。君子危うきに近寄らずといいます。また李下に冠を正さずともいい、疑われる状況を作らない態度が身を守ることに直結します。

会社の新人、部下と接するときに誰しも相手との距離を測りかねます。このとき、親近感と信頼感とを混同してはいけません。親近感と距離感は微妙に違っていて、それを測り間違えると、自分の思っているようには相手から思われない結果を招きます。

そのためにも一方的に距離を詰めないようにします。最初の内は指示する相手を複数人でタッグを組ませるなどして、一対一の関係を避けましょう。一対一の関係はそれなりに高い信頼感を必要とします。

ハラスメントとして訴えられるのを避けるために、必要なのは親近感です。親近感が充分にあれば、多少の言い間違えがあっても相手は親近感をコンテキストにして理解してくれるはずです。くれぐれも自分が感じている親近感を相手も同じように感じているとは思わないでください。

適正な距離を保ってコミュニケーションするのは大切なテクニックです。そのために相手は、立場や関係を配慮した距離感を上手く取れないと仮定しましょう。つまり距離感を相手に任せてはいけません。自分がリードするべきです。自分の得意な土俵で勝負するのが鉄則ですから、業務分野でリードできるはずです。

このとき自分を理解して欲しいという欲求は邪魔になります。理解して欲しいのは自分という人間ではなく、業務内容と仕上がりの品質であるはずです。親近感をコントロールするためには、親近感に頼らないコミュニケーションを目指します。

距離が遠いが親近感を持たれているのが安全地帯です。それがわかってもアプローチにいろいろと問題はありそうです。ほとんどの人は自分の有能さを相手に見せ、知らしめることで信頼感を得ようとします。しかし、できるからといって親近感は持たれません。

そもそも距離感は人それぞれです。ある人は敬語を使わないことで親近感を表現します。親近感をミスで表現する人もいます。もちろんこの手段は幼稚なものですが、相手は未熟者です。そのような状況を多く経験しました。言葉を間違うことでリラックスしている状態を表現できるように導いてあげましょう。

ところで、できる人は信頼されると思いがちです。私たちの心の底には頼りがいのある人と思われたいという気持ちが潜んでいて、手順や考え方を内緒にしがちです。ところが内緒事がある人に誰も信頼感を感じないでしょう。そうなると親しみやすいからといって信頼感は持たれません。

また、人と接するときに敬意を求めるのは間違っています。俺の話を聞けという態度はみっともないものです。むしろ相手は未熟で敬意の表し方を知らないと考えます。尊敬されていないのではなく、表現されないだけかも知れないからです。

そのように考えれば自分から尊敬する言動を表現してみせるのも一法だとわかります。すくなくとも尊敬は受けるものであって、させるものではありません。せめて自分から尊敬を求めないようにしましょう。

対人技術を学ばせるために観察学習という手段は有効です。人間は真似をする相手を尊敬し、同時に親近感を覚えます。誰しも自分に能力があると示したいですから、一緒に行動して自分の言動を真似させる方法をおすすめします。

ハラスメントにならないコミュニケーション・パターンが必要です

いつの時代であれ、大前提として若い世代は対人コミュニケーションの訓練が不十分だと仮定できます。何故ならニュアンスを正しく読めない傾向が見られるからです。ニュアンスを言外に漂わせると自分に都合良く解釈するのが人間です。ですから技能が未熟なので、複雑なパターンを使用すると混乱してしまうのです。

幸いなことにコミュニケーションにはパターンがあります。言い替えれば、いくつかのパターンに沿って情報のやりとりをするのがコミュニケーションです。その状況は町中の喫茶店などで、周囲を観察すれば、使用される文の組み立て方はそれほど多くないのがわかります。

しかし、そのような場所で見かける雑談の内容には、事実・情報の交換が行われています。確かにパターンの種類は貧困ですが、情報の交換を進めて信頼関係を維持しています。これは注目に値する事実だと思います。

整理された少ないパターンを提示して何度もコミュニケーションで訓練するのが有効です。例えば報告のパターンを、文例と意味の解説とを提示します。ルールを知っているのを見なすのではなく、周知するのが親切で必要なやり方なのです。その上で、そのパターンを使わないとすれば、意図的であると判断できます。

コミュニケーションは責めるのではなく、情報を提供するという心構えが肝要です。言動選択に必要な根拠と方法とを提示するのが情報提供です。ただし相手に情報を与えても、言動を変化させる保証はありません。だからといって、強制的に言動を変化させてもその場限りに終わるでしょう。

人間は意味のない無駄な行為を敬遠しますので、自分の言動が効果しない、無駄な言動選択だと理解すれば変化します。指導する立場の人間としては相手の知識に何が不足しているかを観察する力量が試されるわけです。

また内的規制に従った強制をしても通用しません。内的規制は時代・文化が異なると根拠を失います。国が違えば、文化・規範が違い、時代が違っても文化は異なりますので、相手に理由が伝わりません。

自分とどのように関係しているのかという利益の還流メカニズムを使うのが賢明でしょう。指示に従うことで具体的にどのような利益が期待できるかを説明します。提示された規範に利益がないものもあるかと心配になるかも知れませんが、それは大丈夫。カントによれば、すべての規範に利益を期待できるからです。

よりよいと相手が思う行動を選択できるための情報を選ぶのも大切なポイントです。そもそもコミュニケーションの原則は相手の主権を認めることです。そして相手が判断する権利を持つと考えるのが主権です。相手の判断を強制するのには無理があります。特に相手が成人しているなら、その言動を強制するのは無理なのです。

ただ新しい知識・情報の提示は難しいのも事実です。知識・情報は事実の表現が中心になりますし、業務の指示、指導も事実の表現が中心のはずです。このコミュニケーションパターンに感情が入る余地はありません。

他方、自然な日本語表現の場合は、共有した状況を想起させて感情に訴えるパターンが多いそうです。理由は日本の小説は情景と心情表現を中心に発展した歴史にあります。いつも行動を共にしていれば、新たな事実を伝えるパターンは不要でした。それで日本語では事実を伝える機能が不足しているように思えます。

事実をどのように表現するか、から一緒に学ぶ態度が有効です。赤提灯で交わされる野球や気候、サッカーの話題でも事実は添え物です。でも酒の席で評価をぶつけ合うような状況はできづらいですから、利用できるはずです。ただの飲みニケーションに終わらせてはもったいない実践の場ですね。

ハラスメントの責任を取る対策ではなく、ハラスメントを作らない

リスク管理は、訴えられた時にどう対処するかを問題にします。各社・組織が提案しているコンプライアンス策定は組織全体に責任が及ばないように保護しようとしています。しかし、ハラスメントは組織全体で行っても責任者として一部に責任を負わせます。

ハラスメントをおこなさないためのルールは何かを解決するのだろうか疑問に思ってしまいます。身体的攻撃を禁止すれば、精神的攻撃が主流になるのであって、精神的攻撃は目に見えず、発見が難しい上、被害者を追い詰める結果になります。

こうなると身体的攻撃を禁止するルールは特定の行為を禁止して問題を拡大しているのではないかとさえ思えてきます。それならルールによる禁止で防止しようとして、いたちごっこを招いているだけです。これは、問題の定義と解決案の実施とが食い違ってちぐはぐしている時に生じる現象です。

ハラスメントが生じる状況を未だ特定できていないのではないでしょうか。どのような場所、時間でハラスメントは生じるでしょうか。なぜか日本の報道では、これらの具体的問題に対して目を逸らしがちのようです。

もっとも場所といっても、地名で特定するなら何も有益な情報は得られないかも知れませんが、地域毎に特性は必ずあると思います。会社であれば、部署毎に業務が違うはずですし、社内組織による構造的に受ける圧力は異なるでしょう。

これらの分析から場所・時間に関わる共通因子を特定しなければ、対策が的を外すのは当然で、歯がゆい気持ちです。言い替えれば、それぞれの現場での信頼関係の距離を明確にすると何かの問題点が絞れるはずなのです。

立場と役割、そして権限の組み合わせが権力を作っているわけで、それぞれを明確に検証して再定義しなおさなければ、いつまでも平行線を辿るかもと危惧します。

そもそも部下が上司に対して使うべき言葉、態度を分かっていないのではないか?と嫌な気持ちになることもあります。彼らは信頼関係の重要さがわかっちゃいない、そうぼやきが聞こえてきそうです。

従来の組織では何より信頼関係を大切にしていたという年寄りの言葉もあるでしょう。顧客との信頼関係を形成する、社内の信頼関係を維持するのは従来の会社組織のモットーを作っていたように思いますし、個人的にもその精神で社員教育を受けた経験があります。

自分の業務にそのような先輩たちから継承されてきた枠組みを使えたのですから、業績が出ますし、同時に自分の独力ではないという気持ちがいつもあった気がします。言い替えれば昔の会社での業績は社会性、文化などがその枠組みを支えていたから使えただけかもしれません。

大原則として信頼関係は役職を超えるが、立場と権限は越えてはいけません。上司は部下に敬語を使いませんが、部下は必ず敬語を正しく使います。この不平等な言語使用は互いの信頼関係が基礎になっていました。

あちらこちらで耳にするのは言葉つかいで簡単に立場を超えてくるという無礼。「ため口」で親近感を表すのは、信頼関係を維持する法則の無視でしかないはずです。しかし今や、言葉遣いで互いの立場を意識できているかといわれれば困りませんか?

指導・指示の強度を上げていく結果、絶対命令になってしまう悪ベクトルが潜んでいます。「そもそも」で始めて信頼関係と言葉づかいなどと講釈をやってしまう事態は、時間の無駄になり信頼関係になにの利得もありません。

経営者、管理者がハラスメントを起こす側だと仮にすれば、集団で生じる力学が必要だと感じます。集団で形成される人間関係は均質ではないですし、関係の濃淡に信頼関係が相関していると言えば、その重要性を理解してもらえるでしょうか。

関係整理するのが最初、それからハラスメントを対策するのが効果的

ハラスメントを巡る問題は錯そうしてみえます。混乱にある事態を解決できる正解を誰も明らかにできません。これは百家争鳴とでもいえる状況になっていますから、一個人が何をいっても決定的にはならないでしょう。それでも解決への糸口になれば個人が密かに考える意見でも書き記す意味はあります。

事例を眺めるなら、すくなくともハラスメントはいくつかの問題を浮き彫りにしています。まず単純に加害者の性格的偏向に原因を求められないでしょう。またすべての人が被害者になる可能性を持っていますが同時に、すべての人が被害者になるのではありません。

そして人間社会にあるさまざまな領域の集団にハラスメントが生じています。だから現象と要因とを分析して、要因同士の関係を健闘するなどの分析が必要でしょう。実にハラスメントは単純な問題解決を許さない複雑な問題です。

ハラスメントに共通する要因として社会的役割と立場に伴う権限という要素が考えられます。これらの要素同士の関係はさまざまな状況で発生するハラスメントに見られます。家庭で父親の役割と立場、そして権限を損なっているという社会問題がありました。

最近では世代がまったく違う新入社員たちに対して上司の役割、立場、やはり権限は通用しないようです。片方の権利が無制限に主張され、他方の権限を冒すようになれば、立場をなくし権限は失われます。かつては家庭の問題であったものが家の外にまで溢れた感があります。

その結果、社会的役割が立場を決められなくなってきました。役割を効率良く機能させるには役割と立場とを分けられなくなり、役職・立場にあるからといって人を特別な存在にしてくれません。それでも役割に応じた権限は必要です。指導者の立場にありながら指導の権限がなければ役割を果たせないからです。

従来の権限を否定するだけでは機能不全に陥ります。しかし、権限の範囲は固定ではありませんし、従来の取り決めが社会情勢の変化についてこないのですから、権限の範囲は組み替えられるはずです。では何を基礎において社会的な役割、立場、そして権限を組み合わせるかが問題になります。

以前にも書きましたが、役割、立場、権限といった社会的関係を決定づける項目は相互信頼に基づきます。信頼関係は従来の社会にも存在していました。信頼に基づいて関係を決定していましたし、生活で問題を感じることはありませんでした。

しかし、従来の通念では信頼を裏切られてしまうという事例を目の前にしているのです。ですから単に社会的信頼をそのまま受け入れるのではなく、ひとつひとつの信頼関係を作り上げるべきです。優れた技術を持つ評判をそのまま信じるのではなく、自分で検証して信頼する過程を辿りましょう。

コンプライアンスの策定などもその一助になりますが不十分でしょう。なぜなら信頼関係は一方的な言動ではありません。双方向性が必要だからです。信頼関係を作るツールとして一番重要なものがコミュニケーションです。

コミュニケーションは双方向性を持つ技能・手段で、信頼関係を構築して維持するためにあります。現在でも情報共有という合い言葉が用いられますが、コミュニケーションはさらに広い概念です。さまざまな折衝・交渉を通じて共通の課題を取り扱う技能です。

ですが、学校教育を受けた経験では教師とのコミュニケーションを教科書で学んだ記憶はありませんし、文部科学省でもそのような指導要領は出していないでしょう。

ここで信頼関係に基づくコミュニケーションを説明できず残念ですが、相互信頼に基づくコミュニケーションを構築、維持、発展させる具体的なメソッドの作成と標準化が急務です。

こんな事情で?ハラスメントがこんなに増えてしまったのかが分かる

社会的枠組みが立場を決められなくなってきたと思います。ここでは生得的にハラスメント傾向が高い性格を持つ人は少数だと仮定しているのは、少数派の問題を取り上げるのはあまり建設的な考えを生み出さないと考えるからです。

心理学的に証明されているのは追い詰められたネズミはパニックを起こすという事実です。強いストレスにさらされると予期されない行動をとるのは人間でも同じです。ハラスメントとは窮鼠猫を噛むという事態ではないかと思うのです。

学校での先生、職場での上司、家庭での父親などいずれも権威の立場に伴う権威がなくなったという大きなストレスを見逃すわけにはいかないでしょう。実は彼らが弱くなっていて、強いストレスにさらされているように思えるのです。

今でも一部では確実に、立場が決定する責任範囲と力を決めています。教師が教師の責任を負い、生徒は生徒の責任を負うという約束を前提にしています。それぞれが分を守るという前提があったはずです。

立場が責任範囲と力とを保証しなくなった結果、教師に抵抗できない生徒と生徒に抵抗できない教師が生まれています。片方に一方的な力の不均衡を作ってしまっています。具体的には生徒が逸脱したときに正しく指導する方法がまだ充分に熟していません。

直接的な力の行使に代わる方法が充分に知られていないのではないでしょうか。適切な指導という言葉が指し示している具体的な言動が何なのか指示されているとはいえません。また、緊急性をどのように判断するのか基準が示されていないのも課題です。

お互いの責任範囲を社会が決められなくなったのも大きくストレスを生んでいます。枠組みがないなかで対処を迫られるのは、戦場で火器を突きつけられる以上のストレスを生み出すはずです。

このような状況にあって、立場的に追い詰められるとハラスメントさせてしまうとすれば、ハラスメントに手を出すリスクは誰にでもあるということになります。ハラスメントが求めているのは自分と相手との優劣関係の決定だと思えます。

逸脱した平等感覚は立場を超えた支配関係を求める原因です。平等は確かに人間にとって基本的な原理ですが、社会的な役割に委任してきた権威も平等感覚が破壊しました。そこに役割的不平等を信頼できない人たちが従来の枠組みでのルールを破るのでは、どちらが優位かを支配関係によって確認しなければならないわけです。

今や平等な関係だから優劣の地位を決定する必要があるわけで、立場や身分が構成していた社会的枠組みは封建的制度として拒否されます。もはや社会的枠組みを前提にした信頼関係が通用しません。社会的自由を前提にした信頼関係を構築するべきでしょう。

それなら社会制度によらないで、相互の信頼関係がパワーバランスの土台にくれば良いのかもしれません。信頼関係が距離感を決定して、距離感の遠近で言動の意味が違うものになります。また社会的な距離パターンを区別して人間関係も構築されていくでしょう。新たな儀礼的に距離パターンに従うコミュニケーションが高度な社会性を担うはずです。

問題は信頼関係をどうやってつくるのかに焦点がきます。当然ひとりひとりのコミュニケーション能力の向上が必要でしょうが、コミュニケーションの定義を決めるような議論から始める必要があります。

アメリカからテキストを取り寄せて調べた経験から言えるのは、コミュニケーションは段階的に深まります。また最適モデルを学ぶだけではダメです。コミュニケーションはそれぞれ機会毎に千差万別の変化をします。パターンに習熟して、原理を正しく運用できなければこまりますし、双方の技能が向上する必要があります。

ハラスメントの被害者になる前に!こうやってハラスメントを撃退する

ハラスメントする人が加害者で、される人が被害者なのはその通りですが、ハラスメントをする人がのべつまくなし、相手を選ばずにハラスメントの餌食にしているのではありません。そんなことはあり得ない仮定です。

つまりハラスメントを受ける被害者になってしまう人は、標的として選ばれているという側面を持っているのです。そのような標的として選ばれるのは名誉なことではありませんので是非、標的にならないように自衛して頂きたいと願うのです。

周囲で仲間はずれを作らないのは自分自身のためです。人がグループをつくると必ず、親しい人とそうでもない人の群れができます。偶数なら半分に分かれるそうで、問題は表面化しにくいそうですが、問題は奇数人数の場合です。

短期間なら別ですが、一人をどこかから探してきてでも、偶数のグループを作るようにしましょう。つまりグループ内での孤立はなんとしても避ける必要があるのです。

また仲間はずれになってはいけません。どのような集団であっても必ず孤立を避けられるはずです。少なくとも全体に15%程度の味方はいます。6人が集まれば、1人はそこに仲間ができる計算になります。

ビジネスの世界では最低限のルールがあります。これを冒すとハラスメントの対象になっても仕方がないかも知れません。礼儀正しく報連相することです。報連相は最低限のコミュニケーションです。

相手の上司がたとえ悪魔であっても、最低限のコミュニケーションが必要です。これを断ってしまうのは自殺行為です。相手が生理的に不快であるなら、できる限り効率化して接触の機会を減らす工夫をすれば良いのです。

コミュニケーションを断つのがそれほど容易ではないのが普通の状況でしょう。そのような状況で不完全なコミュニケーションを取ってしまうのは逆効果になってしまうからです。相手はもっとコミュニケーションの必要に迫られているかも知れないのです。

あるいは窮鳥懐に入れば、漁師もこれを撃たずの心は対ハラスメントに応用できる原理ですが、窮鳥にも礼儀があるはず。立派に威張っている窮鳥などありえません。ハラスメントの危険を感じた時ほど、普段より自分の礼儀やマナーに気を使いたいものですね。

弱い者を守るのが正義である、という日本の伝統意識をご存じでしょう。日本人には伝統的に判官贔屓という感覚があります。それは若い人も共有しているようです。それは負け戦を戦うヒロイズムと表現できるように、強気を挫き弱気を助けるのは格好が良いという感覚が根付いているからです。

時間厳守の価値は大きいという事実を忘れないようにしましょう。信用は一撃で壊れるが、築くのには時間が掛かるからです。先行投資としての信用を使い果たしてしまうのは、一瞬です。それ以降は自分で信用を回復する努力が必要になります。

またコンテキストを把握するのに心を配ると孤立を避けるのに役立ちます。何が問題になっているのかを考えて主題を捉まえるのはもちろんですが、周囲の噂話に注意を払います。

周囲の悪意を前提してはならない
自信がないと不安が強まり、敵意を感じる
自分の時間を価値あるものにして有意義に生きる

優等生を気取れば、ハラスメント対象として充分ですよ。ですから意図的にプライベートな弱点を演出するくらいが良いのです。完全を装うと攻撃対象になりにいくようなものです。たしかに高い評価は受けたいけど、人間味を忘れてはいけません。きっと人間味とは不完全さのことではないでしょうか。

不完全こそ相手は親近感を覚えるといいます。不完全な人に安心できるのです。不完全なのに一生懸命している姿に親近感を覚えるというメカニズムがあるのです。

相互関係の強者と弱者−ハラスメントを受けたときに取る戦略はこれ

すべてのハラスメントは強者による力の行使です。自分より力があると思える相手にハラスメントをする人はいません。つまり何か特定の部分では、相手の力が圧倒しているのです。そしてそのようなある種の力を行使して、支配しようというのだから、戦闘と同じです。

戦闘に勝つ、あるいは負けないのを目指すのであれば、戦略と戦術を知らないでは済まされないかも知れません。強いから勝てるとは限りませんし、被害が大きければ勝っても利益はありません。

逆に弱いから負けるとは限りません。歴史に見るさまざまな国家間の戦争はそのように証言しています。つまり負けても利益が多ければ勝ったのと同じになります。勝ち負けを超えた戦略を持つのが大切です。

そこで基本として対ハラスメントに応用できると思われるランチェスター戦略を紹介しようと思うのです。これは第一次世界大戦のときイギリスのランチェスター(1868〜1946)が提唱した「戦闘の法則」に原点があります。その後、アメリカで研究され発展した戦闘のための方法論です。

強さ、力といった戦闘力は武器と兵力数で決まり、武器は敵と味方の武器の性能や腕前で、喧嘩が強いとか、声が大きい、体が大きいとかが武器性能になるでしょう。兵力数は兵士や戦車や戦闘機数などの物量で、兵力数相手の力の原理は周囲の環境にあるものでしょう。

例えば学校であれば、同級生のグループでしょう。ハラスメントがたった一人で行われる例はあまりありません。会社でも一人の上司が周囲から分離した状態でハラスメントするのは無理です。周囲に必ず、同調者がいてサポートしているはずです。

一対一、局地戦、敵と近づいて戦う、といった原始的な戦では戦闘力=武器性能 × 兵力数で勝敗が決まります。相手がたった一人なら、兵力数は関係がなくなり、武器性能が結果を決めます。

それに対して近代的な集団同士の戦闘になると戦闘力=武器性能 × 兵力数の2乗だとされます。集団同士の近代戦では兵力が多いほうが圧倒的に有利です。多勢に無勢はどのような武術でも避けるように教えられます。

弱者のための戦略は古典的な戦いを戦うことにあります。集団戦いをたった一人ではじめては勝ち目はありません。一対一、奇襲を前提すれば、兵力で圧倒されないように武器性能を高めておくのです。

相手より上手にする方法を探すこと、相手より運動能力を高めること、議論の技術を磨くなどします。独自に販路を開拓する、自分にしかできない技能を身につける。得意科目を持つなどが考えられますね。

武器効率が悪いなら、兵力を高める工夫と努力が必要です。周囲の人たちを一人一人味方に付けていく、独立した友人グループを持つといった方法が思いつきます。現場にいない人たちの味方を増やしてもあまり効果は出ないので注意が必要でしょう。

このような準備を進めていくことで、実際のハラスメントを避けることができるかも知れません。相手はそのような争い方を避けたいでしょうから、結果的に戦闘を避けられる可能性が高くなるわけです。

例えば局地戦を応用しますと、一度に全員を相手にしない方法で個別、一人ずつ説得するというやり方でしょう。将を射んとせば、まず馬を射よというのも同じ心をいっていると思います。

接近戦を考えるならば、相手と親密になることが中心になるように思います。あるいは一騎討ちを目指します。一騎打ちは相手の力を制限しているところに眼目があります。自分の得意な分野に制限するなどして、全力で戦えないようにします。

一騎打ちの状況ならさまざまな工夫が可能ですが、陽動戦も一法です。虚を突くというゲリラ的な方法を考えましょう。

ハラスメントにしない!ハラスメントを回避するために必要なこと

言うまでもなくハラスメントをしてはいけません。もちろんハラスメントの加害者になろうなんて、意図して加害者になるような人はそれほど多くないかも知れません。ほとんどの場合は、意図していないのにハラスメントの加害者になってしまったというのではないでしょうか。

ハラスメントをされるようではいけません。こうに言うとハラスメントを受けた人の傷をえぐっているなどと、お叱りを受けそうと恐れますが、ハラスメント被害者にも一定の傾向が認められるという報告がある以上、何か対策を講じる責任があったのではないでしょうか。

いずれにせよ、ハラスメントに関わる人たちは幸福になれません。ハラスメントについて言える確かな事でしょう。加害者、被害者は当然ですが、現場周辺にいた人たちも同じように不愉快な思いをしているはずです。だからこそ、共同の問題として取り扱える余地があります。

ハラスメントされるような状況を作らない工夫があるのです。その工夫を被害のターゲットにされやすい人の立場から考えてみたい。当たり前の事が多いでしょうが、気づきにつながることもあるかと思います。

時間を守る習慣があなたを守ります。つきあいは時間を決めておきます。社内・部内・課内とあるいは客先接待で飲酒の場に付き合わなければならない状況にハラスメントを受ける遠因を作ってしまうケースが少なくないと思えます。なので「今日は何時までおつきあいさせていただきます」などと最初に許可を得ておきましょう。

このとき普段から時間を守る習慣がなければ、拒絶感が伝わってしまいます。拒絶しているのではないと主張するためには、自分が時間に関して厳格であることを周囲が理解している必要がありますよね。時間に正確であるという評価は得るのが難しいもののひとつ。良い評判は得るのに長い時間がかかります。

コミュニケーションを健全に保つのが、信頼感のあるつながりの基礎になります。そのために普段から心がけたいのは次のような簡単なことに過ぎません。最初は、対話を切らないというもの。簡単なことのように聞こえますが、細かにチェックすれば耳が痛い人も多いでしょう。

相手の言っていることを逐一確認していますか?この質問にはいと答えられるようにならなければ、コミュニケーションミスの責任の一端はあるということになります。ミスを犯すとその度に、見えない罰金を信頼関係に支払っているようなものです。

会話の途中で勝手に話を終わりにしないのも大切ですが、なかなか遵守できませんね。「はい、わかりました」この台詞を言った後の責任はわかったといった人に移ります。これも細かいようで、重大な問題をコミュニケーションにもたらします。

要点が分かっているつもりでは困ります。何故なら相手は自分の知らないことを知っているはずだからです。結論は相手の話が終わってからでも遅くないです。会話の終了を相手にさせる巧妙な作戦を常時の手段です。

信頼関係を作りたいと思ったら、朝夕の挨拶を気長に続けることをお勧めします。その期間が誰よりも長くなれば、誰よりも信頼関係の土壌を耕せていると考えてよいです。

信頼関係を維持するのも大切なことです。信頼関係は時々刻々と変化し続けます。昨日は信頼関係があったとしても、翌朝に会った時までに破綻している可能性もあると考えましょう。会う度に信頼関係の維持に心を砕かなければなりません。

礼儀正しい言動を守ると心得ましょう。親しき仲でも礼儀は守るべきなのは、礼儀作法こそは人間関係の基本だからです。仕事が有能でも無礼では評価されないのは、礼儀を知らないのは人間ではないのに等しいと考えられるからです。`

ハラスメントは増殖中!こんなことにハラスメントは生じてしまう

ハラスメントはセクシャルやパワー・ハラスメントに留まらないようです。例えばドクター・ハラスメントは医療関係の問題ですが、生命に関わる場所でのハラスメントともなれば、悠長に構えるわけもいかなくなります。

中には心ない言葉を投げかけ、思いやりのない態度を取る医師がいます。私たちのような一般人にとっては、専門家の言葉であれば、それだけで権威を感じてしまいます。その権威を背景にして、ハラスメントが行われるのですから、残念な気持ちで一杯になります。

さらにはドクターによるハラスメントは患者自身だけではなく、患者家族に対してもハラスメントがあるといいます。治療に関係のある質問などはあってしかるべきですが、まったく関係のなさそうな家庭内の事情にまで口を挟んで、人格をけなされた個人的経験もあります。

医者や、病院は患者が選ぶものですから、病気の経過、疑問点などは質問してはっきりさせる必要があります。確かに専門家を前に素人が、わかったような質問をするのは失礼に当たるという気持ちは理解できますが、自分で病気と向き合う決意をしていれば、疑問に思うのも当たり前でしょう。

医師の説明があいまいだったり、恫喝するなどの暴挙に出たら医院を変更する算段をします。心情などの話も積極的にする環境がなければ、医師との信頼関係を築けません。病気である以上は心理的な影響もあるはずです。

あるいは他愛もない雑談もできないほど忙しい医者は遠慮します。救急救命に掛かっているのではないはずで、治療者との信頼関係は遙かに優先事項だからです。これらの考慮は医師から独立して自分の健康を客観的に向き合えるからこそできます。

そのためには人的なセカンド・オピニオンを用意しておくのが大いに助けになるはずです。例えば医療関係に従事している友人を探すのがわかりやすい。意外と簡単に見つかるというのが実感ですが、近所に医療関係に従事している人はいませんか?

そのような心当たりがなくても、いきつけの居酒屋、スナックがあれば、マスターに相談してみると良い情報が得られます。そうすると普段から健康維持について、また症状についてアドヴァイスを得られるでしょうし、病院も紹介してもらえるはず。

医者任せにしない健康管理が肝要なのですね。自分自身で健康状態を観察するのが基本です。痛みが出たら、いつからか、どの程度でどの部位か、くらいは記録しておきましょう。そのような健康管理に付き合ってくれない医療に関わると辛い状態に陥ります。

こんな医者は嫌だリストには、次のような医者を避けようと挙げられていましたが、そのほとんどは常識的な内容です。あいさつをしない、やたら威張っている、なんて権威主義丸出しです。目をそらすのが気になったら、そもそもその医者に心理的問題があるか、後ろめたい何かが隠れているようです。

場合によっては怒るほどに熱心な方もいらっしゃいますが、その理由を説明しないのなら相手をする必要はありませんよね。また妙に治療を急ぐのも、薬が多いのも何を優先しているんだろうと疑問に思います。

専門用語を羅列する医者は、いやらしい感じが充満します。あきらかに詐欺師が被害者をたぶらかす基礎技術です。ノートをとって、分からない言葉の説明を求めてみましょう。

その一方、学校という場で問題になるキャンパス・ハラスメントでは学習・研究活動の妨害が中心になります。研究テーマを与えなかったり、文献・図書や機器類を使わせないなど、ハラスメントの種は尽きません。

それ以外にもアルコール・ハラスメントや、スモーク・ハラスメントというのもありますが、だからってどうすれば良いでしょうね?

ここだけの話ですが!パワー・ハラスメントと戦うコツを紹介します

運悪くパワー・ハラスメントの渦中に陥ってしまったら、残念でしたで済ますわけにはいきません。リスクに備えるのは、最悪の事態に対処する方針を決めておくのが肝要だからです。最悪の事態に対策しておくことで、むしろ余裕が生まれて事態を悪化させずに済むものです。

パワー・ハラスメントに対抗しなければならなくなったなら、何より撤退を覚悟する必要があります。最悪の場合は撤退です。決して頑張りすぎてはいけません。消耗させられてしまい、生活の全体まで追い詰められてしまう危険があります。

パワー・ハラスメントする人は相手が弱いと思うと強く出るのが特徴です。職場であれ、学校であれ、必ず相手の方が力があるという認識を誤っては事態は急激に悪化します。人間が平等だとしても、パワーバランスは平等でありえません。

兵法36計逃げるが勝ちの精神が役立ちます。勝ち目のない戦いを戦いをすれば、消耗し尽くして再起を図るのも困難になるでしょう。相手がどんなに強く出ても、必ず逃げる方法はあるはずですし、逃げるのであれば、被害も最少に止めれます。

会社であれば、転職を準備するべきです。退職してから次の就職先を探すのではありません。退職する前に次の職場を確保するのが賢明です。こうすれば、退路を確保できて、抵抗するのに余裕が生まれます。

同じように学校なら、転校も一考に値します。教育は相応しいものを求めて何度も転居するのが良い戦略だとも言われています。パワー・ハラスメントを受けていながら、学業に集中するなどありえないからです。

パワー・ハラスメントと正面切って争うべからずと、是非心得ていて欲しいところです。パワー・ハラスメントに限らず、力が強い相手と正面切って争うのは利口ではありません。正々堂々とスポーツマンシップを発揮するのはゲームの中だけでいいでしょう。

界に入りては穏やかに戦えというのが、囲碁で教えられる戦いのコツです。相手が強い勢力圏で勝負する時に、相手を負かそうと頑張ってはいけません。相手につぶされないようにするのが争いの勝負所とします。つまり、欲をかかずに、治まるのを最優先にする戦い方です。

なにより相手が強いところでまともに戦うと被害が大きくなりますし、大きな利益を獲得できる見込みがありません。パワー・ハラスメント上司を更迭できたとしても、その後を継ぐ上司がより良くなる保証がありませんよね。

ですから、かわしてかわせるなら、現状維持するのが最善です。事を荒立てて、大仰な行動を取ると自分の損失が多くなるだけです。というわけで、あえて宣戦布告しない、が上策だと思います。

また事を荒立てたり、正面から反論などと宣戦布告すれば、過剰に圧迫してくる可能性があります。しばらくは居心地が悪いかも知れないが、必ず環境は変化します。

具体的には相手が欲しているものを与えて上手く立ち回ります。頼っているように見せて、感謝と賛美を相手に与えます。正直である必要はないがウソは事態を悪化させると考えて、弱みを晒して攻撃を避けるようにすると相手が変化してくるはず。

パワー・ハラスメントに抵抗するのは戦うのと同じです。そもそも理性的な対話を期待できないからです。ですから自分の理性が頼みの綱ですが、自尊心は不要です。自尊心が強すぎると行動が倫理的になってしまい、判断が鈍ります。

尊厳に対する攻撃が中心になり、追い詰めようとします。ですから正しく倫理的であるのを追求しない、安っぽい正義感を露わにしてはいけません。またパワー・ハラスメントと戦うために客観的データが必要なので、密かにポケットに録音機を忍ばせて、証拠集めを忘れずに。健闘を祈ります。

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