ハラスメントを巡る問題は錯そうしてみえます。混乱にある事態を解決できる正解を誰も明らかにできません。これは百家争鳴とでもいえる状況になっていますから、一個人が何をいっても決定的にはならないでしょう。それでも解決への糸口になれば個人が密かに考える意見でも書き記す意味はあります。

事例を眺めるなら、すくなくともハラスメントはいくつかの問題を浮き彫りにしています。まず単純に加害者の性格的偏向に原因を求められないでしょう。またすべての人が被害者になる可能性を持っていますが同時に、すべての人が被害者になるのではありません。

そして人間社会にあるさまざまな領域の集団にハラスメントが生じています。だから現象と要因とを分析して、要因同士の関係を健闘するなどの分析が必要でしょう。実にハラスメントは単純な問題解決を許さない複雑な問題です。

ハラスメントに共通する要因として社会的役割と立場に伴う権限という要素が考えられます。これらの要素同士の関係はさまざまな状況で発生するハラスメントに見られます。家庭で父親の役割と立場、そして権限を損なっているという社会問題がありました。

最近では世代がまったく違う新入社員たちに対して上司の役割、立場、やはり権限は通用しないようです。片方の権利が無制限に主張され、他方の権限を冒すようになれば、立場をなくし権限は失われます。かつては家庭の問題であったものが家の外にまで溢れた感があります。

その結果、社会的役割が立場を決められなくなってきました。役割を効率良く機能させるには役割と立場とを分けられなくなり、役職・立場にあるからといって人を特別な存在にしてくれません。それでも役割に応じた権限は必要です。指導者の立場にありながら指導の権限がなければ役割を果たせないからです。

従来の権限を否定するだけでは機能不全に陥ります。しかし、権限の範囲は固定ではありませんし、従来の取り決めが社会情勢の変化についてこないのですから、権限の範囲は組み替えられるはずです。では何を基礎において社会的な役割、立場、そして権限を組み合わせるかが問題になります。

以前にも書きましたが、役割、立場、権限といった社会的関係を決定づける項目は相互信頼に基づきます。信頼関係は従来の社会にも存在していました。信頼に基づいて関係を決定していましたし、生活で問題を感じることはありませんでした。

しかし、従来の通念では信頼を裏切られてしまうという事例を目の前にしているのです。ですから単に社会的信頼をそのまま受け入れるのではなく、ひとつひとつの信頼関係を作り上げるべきです。優れた技術を持つ評判をそのまま信じるのではなく、自分で検証して信頼する過程を辿りましょう。

コンプライアンスの策定などもその一助になりますが不十分でしょう。なぜなら信頼関係は一方的な言動ではありません。双方向性が必要だからです。信頼関係を作るツールとして一番重要なものがコミュニケーションです。

コミュニケーションは双方向性を持つ技能・手段で、信頼関係を構築して維持するためにあります。現在でも情報共有という合い言葉が用いられますが、コミュニケーションはさらに広い概念です。さまざまな折衝・交渉を通じて共通の課題を取り扱う技能です。

ですが、学校教育を受けた経験では教師とのコミュニケーションを教科書で学んだ記憶はありませんし、文部科学省でもそのような指導要領は出していないでしょう。

ここで信頼関係に基づくコミュニケーションを説明できず残念ですが、相互信頼に基づくコミュニケーションを構築、維持、発展させる具体的なメソッドの作成と標準化が急務です。