リスク管理は、訴えられた時にどう対処するかを問題にします。各社・組織が提案しているコンプライアンス策定は組織全体に責任が及ばないように保護しようとしています。しかし、ハラスメントは組織全体で行っても責任者として一部に責任を負わせます。

ハラスメントをおこなさないためのルールは何かを解決するのだろうか疑問に思ってしまいます。身体的攻撃を禁止すれば、精神的攻撃が主流になるのであって、精神的攻撃は目に見えず、発見が難しい上、被害者を追い詰める結果になります。

こうなると身体的攻撃を禁止するルールは特定の行為を禁止して問題を拡大しているのではないかとさえ思えてきます。それならルールによる禁止で防止しようとして、いたちごっこを招いているだけです。これは、問題の定義と解決案の実施とが食い違ってちぐはぐしている時に生じる現象です。

ハラスメントが生じる状況を未だ特定できていないのではないでしょうか。どのような場所、時間でハラスメントは生じるでしょうか。なぜか日本の報道では、これらの具体的問題に対して目を逸らしがちのようです。

もっとも場所といっても、地名で特定するなら何も有益な情報は得られないかも知れませんが、地域毎に特性は必ずあると思います。会社であれば、部署毎に業務が違うはずですし、社内組織による構造的に受ける圧力は異なるでしょう。

これらの分析から場所・時間に関わる共通因子を特定しなければ、対策が的を外すのは当然で、歯がゆい気持ちです。言い替えれば、それぞれの現場での信頼関係の距離を明確にすると何かの問題点が絞れるはずなのです。

立場と役割、そして権限の組み合わせが権力を作っているわけで、それぞれを明確に検証して再定義しなおさなければ、いつまでも平行線を辿るかもと危惧します。

そもそも部下が上司に対して使うべき言葉、態度を分かっていないのではないか?と嫌な気持ちになることもあります。彼らは信頼関係の重要さがわかっちゃいない、そうぼやきが聞こえてきそうです。

従来の組織では何より信頼関係を大切にしていたという年寄りの言葉もあるでしょう。顧客との信頼関係を形成する、社内の信頼関係を維持するのは従来の会社組織のモットーを作っていたように思いますし、個人的にもその精神で社員教育を受けた経験があります。

自分の業務にそのような先輩たちから継承されてきた枠組みを使えたのですから、業績が出ますし、同時に自分の独力ではないという気持ちがいつもあった気がします。言い替えれば昔の会社での業績は社会性、文化などがその枠組みを支えていたから使えただけかもしれません。

大原則として信頼関係は役職を超えるが、立場と権限は越えてはいけません。上司は部下に敬語を使いませんが、部下は必ず敬語を正しく使います。この不平等な言語使用は互いの信頼関係が基礎になっていました。

あちらこちらで耳にするのは言葉つかいで簡単に立場を超えてくるという無礼。「ため口」で親近感を表すのは、信頼関係を維持する法則の無視でしかないはずです。しかし今や、言葉遣いで互いの立場を意識できているかといわれれば困りませんか?

指導・指示の強度を上げていく結果、絶対命令になってしまう悪ベクトルが潜んでいます。「そもそも」で始めて信頼関係と言葉づかいなどと講釈をやってしまう事態は、時間の無駄になり信頼関係になにの利得もありません。

経営者、管理者がハラスメントを起こす側だと仮にすれば、集団で生じる力学が必要だと感じます。集団で形成される人間関係は均質ではないですし、関係の濃淡に信頼関係が相関していると言えば、その重要性を理解してもらえるでしょうか。