モラル・ハラスメントもハラスメントの中で大きな問題を生じやすいもののようで、ある意味ではセクシャル・ハラスメントよりも広義のハラスメントを含んでいます。それなのにもう一つ正体がはっきりしないもの。

モラル・ハラスメントを訳すなら道徳的嫌がらせ行為とでも訳せばいいのでしょうか。でもこれだと道徳的概念に対して嫌がらせ行為をするのかどうなのかがはっきりしません。

いろいろ出回っている内容をまとめて簡単に言えば、精神的な嫌がらせをモラル・ハラスメントと呼ぶようです。もともとの心理学的な定義を拡大して適用している概念ですから、意味が分かりづらい言葉になっているわけです。それは特殊なパーソナリティが周囲に対して行動するパターンでした。

モラル・ハラスメントとはいじめのことです。例えば言葉や態度で相手を貶めることや、もっと単純に目的もなく無視することもその一つです。あるいは学校で生じるように、仲間はずれにしたりしてもハラスメントになり得ます。精神的に傷つける意外にもウソをついて混乱させても同様です。

本来は自己愛的な変質者が攻撃的パーソナリティを剥き出しにすると考えられており、変質的な人格を問題にしていた感があります。でも誰でも自己愛的な要素を持っているはずですし、むしろ自己愛的な要素は生きていく上で不可欠です。

また誰でも攻撃的パーソナリティを宿しているはずで、いつでも攻撃的パーソナリティを露わにしている人は少数派でしょう。これらの人格的特性は程度の問題に過ぎないのです。

振り返って大多数の普通の人が攻撃的パーソナリティを発現するのはどんな時だろうと考えると、モラル・ハラスメントを生じる状況が見えてきます。加害者は復讐心を誘うような怒りや恨みの感情を抱えている場合が多いといいます。

彼らは責任感が欠如しているので罪悪感を持たないと分析しますが、責任を負わないように立ち回っているように見受けられます。そして加害者になる人には心理的障害が見られるケースも多いそうです。強いものに弱く、弱い相手に強いというのは典型的です。

ただし嫌だと感じればモラル・ハラスメントというわけではないのは当然です。被害者になりやすい傾向が認められるそうです。その種の人たちは、自信のなさから、自己評価が低く被害者意識を持っているといいます。つまり加害者は加害者になり、被害者は被害者になりやすいのです。

言い替えれば、モラル・ハラスメントは個対個の関係で生じるわけです。個人が関係と場とが接続して、ハラスメントの空間を作っています。ですから誰とでもモラル・ハラスメント問題が起きるわけではなく、パーソナリティの組み合わせ次第でハラスメントが生じます。

身体的攻撃以外にも攻撃方法はあり得ます。ルール違反や無視して応答しないなど、気になるのは時間・空間に割り込むというのはルール違反の一例でしょう。このような方法がハラスメントとして認知されずに、他人に行われている場合は注意が必要でしょう。

これらの非身体的攻撃でも相手にはフラストレーションやストレスを与え、身体的なものより防御がむしろ難しいため、恨みや怒りを蓄積しやすいのです。故事に曰く「窮鼠猫を噛む」という状況に追い込んでしまいます。その状況で、爆発する感情を捉えて蔑むのは変質的嗜好を持つ人の楽しみになるだけです。

このように考えればハラスメントは加熱するのがわかると思います。簡単なモラル・ハラスメントが継続的に行われることで、特定の人に恨みが蓄積されるのは想像できます。それが限界を超えたとき、別のハラスメントを生じるはずです。ハラスメントは単独で完結しないのです。